日本流の接客サービスについて語る時、そこにはいつも「おもてなし」という言葉があります。
日本人は良く、礼節を重んじ、冷静、正確、譲り合いと利他的精神に富んだ国民と世界では称されています。私達日本人のDNAに自然と宿るこれらの素晴らしい精神性が、日本独特のおもてなしを生み出しているといえるでしょう。それは、茶人 千利休の提唱した茶道の心得、利休七則の中に見ることができます。
「茶は服のよきように」「炭は湯の沸くように」「夏は涼しく、冬は暖かに」 「花は野にあるように」「刻限は早めに」「降らずとも雨の用意」「相客に心せよ」
日本のおもてなしの心は、「一期一会」「侘び寂び」「以心伝心」「忘己利他」「出迎え三歩、見送り七歩」という言葉にも表れています。
「一期一会」とは、「一期」も「一会」も仏教の精神を表す言葉。一生にたった一度の出会いだと思い、主人も客人も万事に心を配り、心を尽くして交わりなさい、という意味です。この心得は、人と人とが出会う縁を大切にするという日本人のおもてなしの心に通じています。
「侘び寂び」とは、日本人独特の精神文化を示す言葉。落ち着いた味わい、古びて趣がある様子に感じ入る美意識です。日本旅館の庭、木々、茶室や露地、燈篭、掛け軸、花瓶、置物などの目に見えるものから、主人が客人を配慮するその心遣いに感動することです。
「以心伝心」とは、禅の趣旨を表現した有名な仏教語。お釈迦様の教えは経典に記されていますが、それを読んだだけで悟りを開くことはできません。むしろ教えの心髄は、文字や言葉に頼らず、心から心へ直に伝えられるものだという教えです。つまり、心をもって心に伝えることの重要性を示しています。お客さまに対するおもてなしが心尽くしであれば、お客さまの心に届く、さらにはお客さまが思い望んでいることを察して心づくしをするという教えです。
「忘己利他(もうこりた)」は、仏教の伝教大師、最澄の言葉。己を忘れて他を利する。見返りを期待せず、自分が相手にとって何ができるのかを常に考えることです。自分のことは後にして、まず人に喜んでいただくことをする、そこに幸せがあるのだという言葉です。つまり我欲が先に立つような生活からは幸せは生まれないのだということです。見返りを求めないのは、相手の為であると同時に、自分の為になるという教えです。
「出迎え三歩、見送り七歩」は、お客さまをお出迎えする時に、気配を感じたらお客さまが到着される三歩前には姿を現し進み出て、相手の方にお待ちしていた気持ちをさりげなく伝えること、お見送りする時には感謝の言葉をかけながらお客様が離れていく七歩まで名残惜しい様にお見送りするおもてなしの精神です。歩数はあくまでも目安です。たとえ、お客さまがそれに気が付かなくても、姿が見えなくなるまで、残心を以ってお見送りします。
さりげなさ、相手への敬意、目配り、気配り、心配りこそが日本の誇るべきおもてなしの真髄なのでしょう。
最後に日本語の素晴らしさにも多いに誇りを持ちたいものです。いつも日本語の美しい敬語-尊敬語や丁寧語を使うと、自然と態度も礼儀正しくなります。まさに日本語が引き起こすマジックです。
江戸切子体験をしました。何と繊細な技と手仕事!その難しさと苦戦すること2時間。江戸切子の価値をあらためて認識しました。ギャラリーには美しい江戸切子のまばゆい輝き、しばしその美しさにみとれてしまいました。素晴らしい江戸切子との「一期一会」を体験することが出来ました。江戸切子専門店 煌粋(きらめき)の伝統工芸士清秀氏からこんな言葉をかけられました。「体験はたとえまっすぐに線が削れなくても自分一人で自分と向き合い制作した唯一無二の作品。難しさと葛藤してもらうことが体験です。職人の技はそう簡単には実現できませんから・・・」。そして「もし完璧なものをお探しならぜひ職人の技が詰まったギャラリーの作品をお求めください!」と。長い年月に磨かれたその技術と経験が日本の伝統工芸である江戸切子を支えているのですからその値段にも納得です。すべて一つ一つ手作業にこだわった作品には温かいぬくもりさえ感じました。