コンシェルジュの歴史を紐解いていくと、その原点は中世の巡礼の旅にあります。巡礼者が立ち寄る教会や修道院で旅人を温かくもてなし、困ったことを解決し、様々な質問に的確に答え、後に続く旅のアドバイスをしてきました。今月は、外国人が信仰する宗教の中でも、特にインドやネパールの人々に信仰されているヒンドゥー教についてです。
日本の人々にとっては少し馴染みが薄い為、特有の配慮が必要な宗教です。なぜなら、食事、カースト制度への考え方、「不浄」の概念など、意図せず相手を不快にしてしまったり、トラブルにつながる可能性がある独自の文化・習慣が多いからです。ちなみに「ヒンドゥー教」は「ヒンズー教」とも言われます。ヒンドゥー教の聖地はいくつもありますが、インドに於ける聖地は「サプタプリー(Sapta Puri)」といい、その代表的な場所は、バラナシ、リシュケシュ、ハリドワール、アヨーディヤー、マトゥラー、カーンチープラム、ウッジャイン、ドワールカーです。特に有名なのは、バラナシです。ガンジス川沿いにある都市で、ヒンドゥー教徒が一生に一度は訪れたいと願う巡礼地です。川沿いの石段(ガート)では毎朝、多くの人々が沐浴を行い、祈りを捧げています。又マニカルニカーガートという場所は火葬場としても有名で、死者の魂を輪廻から解脱させる儀式が行われます。
ネパール最大のヒンドゥー教聖地はシュパティナート。シヴァ神の聖域と言われ、バクマティ川の川岸にあり、1979年に世界遺産に登録されたカトマンズ盆地を構成する一つになっています。さて、インド、ネパール以外にインドネシアはイスラム教徒が多いのですが、バリ島には、バリ ヒンドゥー教を信仰する人が多くいます。バリ島の寺院をはじめ、空港、ホテル、レストランなど様々な場所に色とりどりのとてもきれいな花やお供物が置かれているのを、旅をした人なら必ず目にしたことがあるでしょう。このお供え物の名は「チャナン」と呼ばれ、バリ ヒンドゥー教の大切な文化です。若いヤシの葉(土台のチュペールという四角い箱用)にポロサンというキンマ(シリー)の葉、石灰、米、小さく切った果物、東西南北の色に合わせたカラフルな花が入っています。チャナンとは、「美しくありますように」という意味で、1日を平和に過ごせるよう神に見守ってもらうために捧げます。このチャナンは、神だけでなく、悪霊にも捧げるそうです。これは、悪霊という名の悪い神に「悪いことをしないでくださいね」という意味があります。
ヒンドゥー教は、唯一絶対神を信仰するキリスト教やイスラム教とは異なり、無数の神々を信仰する多神教です。ヒンドゥー教では、宇宙のありとあらゆるものに神が宿ると考えられており、この「無数」という表現は、具体的な数の限界を超えた神聖な存在がいることを示しています。中でも「ブラフマー(創造)」「ヴィシュヌ(維持)」「シヴァ(破壊)」は三大神と呼ばれ、宇宙のサイクルを司る重要な存在とされています。信者は自分の好みや信条に合った神を選んで崇拝することができ、この多様性がヒンドゥー教の大きな特徴です。魂は不滅であり、死後も新たな生命に生まれ変わるという「輪廻転生(サンサーラ)」の考えが根底にあります。現世での行いはすべて「業(カルマ)」として蓄積され、その善悪によって来世の境遇が決まると信じられています。現在の身分や境遇は、過去世のカルマの結果であると受け入れる価値観を持っています。現生の行いが重要視される点は仏教と共通します。どちらも古代インドで生まれ、「輪廻転生」や「カルマ」といった点が似ています。しかし、神のとらえ方に根本的な違いがあります。ヒンドゥー教がヴィシュヌやシヴァといった多様な神々を信仰する多神教であるのに対し、仏教は神への信仰ではなく、修行による自らの「悟り」を目指す点でまったく異なるわけです。
おもてなしの場面で特に気を付けなければならないことは以下の事柄です。
1.牛は破壊神シヴァの乗り物であることや、牛乳などが生活を支える存在であることから、極めて神聖な動物とされています。その為、牛肉を食べることは禁忌であり、牛肉そのものだけでなく、牛由来の出汁(ブイヨン)や油(牛脂)、ゼラチンなども厳格に避ける必要があります。全員ではありませんが、不殺生の教えから肉食を避ける菜食主義者(ベジタリアン)が多いのは事実です。菜食主義者でなくても、牛肉だけは絶対に食べないという人が大多数だと理解しておくことが重要です。菜食主義者の人には、インド料理や精進料理のお店をご案内することが良くあります。
2,カースト制度とはヒンドゥー教の教えと結びついた、世襲の身分制度です。頂点から順に、以下の4つの基本的な身分(ヴァルナ)で構成されています。高い身分から、①バラモン:祭司・僧侶階級、②クシャトリヤ:王侯・武士階級、③ヴァイシャ:商人・農民などの庶民階級、④シュードラ:隷属民・労働者階級。さらに、この4つのヴァルナの枠外に不可触民(ダリット)と呼ばれる、歴史的に厳しい差別を受けてきた人々が存在します。現在、インド憲法ではカーストによる差別は禁止されていますが、今なお人々の意識や慣習、特に結婚などにおいて根強く影響しています。非常にデリケートな問題であり、個人のカーストについて尋ねることは絶対に避けなければなりません。
3,伝統的に左手は「不浄の手」とされます。その為、食事をする、物を手渡す、握手をするといった行為は必ず右手で行うのがマナーです。また、ヒンドゥー教の文化圏では唾液が不浄なものと見なされるため、一度口をつけた食器や飲み物に他人が触れることを避けるのが一般的です。大皿料理を直箸で取ることや、ワイングラスやペットボトルの回し飲みなどは避けるべきです。さらに、他人の頭は魂が宿る神聖な場所とされており、子ども相手であってもむやみに頭を撫でるべきではありません。
宗教上の食事制限は、個人のアイデンティティに関わる重要な問題です。「食べられないものはありますか?」と事前に確認する配慮やメニューに使用されている肉の種類(牛、豚、鶏)やアルコールの有無を明記すると良いでしょう。お祈りに関しては、イスラム教徒とは異なり、礼拝の配慮は不要とされています。前回のコラムで、イスラム教の礼拝(サラート)が1日5回と定められた義務であると説明しましたが、それに対し、ヒンドゥー教の日常的なお祈り(プージャー)は主に自宅の祭壇などで行うのが一般的で、日中の特定の時間に仕事を中断して行う義務はありません。そのため、特別な礼拝スペースの確保などは基本的に不要です。
昨今、日本にはヒンドゥー教を信仰するのはゲストだけでなく、移住されて来る人や働くスタッフにも多数います。多様性の尊重が日常としても大切な時代になりました。私が教鞭をとるホスピタリティ関連の学校の生徒や新規のホテルが開業する際にグローバルホテルスタッフ研修を実施していますが、ヒンドゥー教を信仰する国からの人も数多く存在します。宗教や文化といった多様な背景への深い理解が不可欠であることを改めて実感しています。
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