今月から世界の観光名所で、コンシェルジュに所縁のある場所をご紹介していきたいと思います。
まず第一回目の場所、それはもちろんフランス、パリのコンシェルジュリーLa Conciergerieです。
2024年のパリオリンピック、世界遺産のセーヌ河岸にて繰り広げられた開会式でその美しい姿が印象的でした。一方でその歴史的背景から、革命期を再現するかの様な少々おぞましい演出もありました。
コンシェルジュリー(Conciergerie)は、フランスのパリ1区、シテ島西側にあるかつてセーヌ河岸に面した4本の塔「シーザーの塔」「銀の塔」「ボンベックの塔」「時計の塔」(「時計の塔」には、パリ最古の公的時計が設置されており、今でも通りかかるとその精緻な装飾に目を奪われます)と3つの大広間からなる王宮として使われていた建物です。ゴシック建築の美しい造りが特徴です。コンシェルジュリーという名前は、旧王宮の司令官コンシェルジュ(守衛)がいた場所に由来しています。14世紀後半にシャルル5世がここに王室司令部を置き、その際に特権を得て護衛をした門衛をコンシェルジュと呼んだことから、いつしかその活動を行っていた建物自体をコンシェルジュリーと呼ぶようになりました。
フィリップ4世などカペー朝の王宮(Palais de la Citéシテ宮)として建てられ、10世紀から14世紀にかけて使用されました。その後牢獄としての役割を経て、現在はパリのパレ・ド・ジュスティス(司法宮) の一部で、観光名所になっています。
あのフランス革命が起こり、その後恐怖政治の時代に入ると、国民公会により革命裁判所が隣設され、1793年から約2年間に、何と王族、貴族など約2,780名に対して死刑判決が下されました。当時はこの牢獄に入るとかならず死刑になるというので「死の牢獄」「ギロチン控えの間」とも呼ばれました。マリー・アントワネットが投獄されたのは1793年。今でもマリー・アントワネット(囚人番号280)が処刑される前の約2カ月半を過ごした独房は蝋人形や家具も置かれ、当時の様子が再現されています。又マリー・アントワネットがコンコルド広場にてギロチンの刑に処される前の直筆の手紙も残されています。セーヌ河岸が世界遺産に、又コンシェルジュリーも歴史遺産に指定されています。
衛兵の間と呼ばれる約2ha、天井約8.5mほどある大きな部屋は、かつての兵士たちの食堂。天井のアーチが圧巻です。マリー・アントワネット以外にもロベール=フランソワ・ダミアン、サド侯爵、ルイ・フィリップ2世、モンゴメリー伯爵、ロベスピエールなど革命期に生きた著名人がコンシェルジュリーで人生最後の時間を送りました。コンシェルジュリーは、重苦しい背景をもった建物ではありますが、重要なフランスの歴史を物語っています。コンシェルジュリーのすぐ隣にかつての王家の礼拝堂、サント・シャペル (Sainte Chapelle)があります。「聖なる礼拝堂」という意味でゴシック建築の教会堂であり、 おそらくゴシック建築が最も輝かしかった時期の頂点ともいえる傑作です。見どころはパリ最古のステンドグラスが織り成す光の芸術。「聖なる宝石箱」と称えられるほどです。創世記からキリスト復活までの聖書に
ちなんだ物語を再現しています。ぜひコンシェルジュリーと共にサント・シャペルも訪ねられることをお薦めします。
南イタリアの太陽の光を浴びたぶどうの素晴らしさを味わえます。
果実味のあるアロマの香りに癒されます、これからの季節は少し冷やして飲んだり、柑橘系のフルーツと共にカクテルにしてもお薦めです。屋外のバーベキューでお肉との相性もぴったりです。
72100はこのワインの生まれた土地の郵便番号だそうで、そのネーミングもおしゃれです。